みなさまこんにちは。なんなん(@nannanchannel) です。
子供を育てていると、不意にケガをしたり思わぬ病気になったりしますよね。
私は2人子供がいてどちらも20年くらい育てたのですが、途中で何度かいきなりケガをしたり急病にかかったことがありました。
上が男の子、下が女の子で4歳離れています。
この2人の子供が20年の間に経験した「ケガ、病気」のTop3をそれぞれ書いてみようと思います。
上の男の子(現在23歳)がした「ケガ・病気」Top3は?
1位 日帰り手術2回(足裏、肉芽)
上の男の子は、小1で1度、小4でも1度、午後から30分程度の「日帰り手術」をしました。
小1のは「足裏のホクロ切開」で、小4のは「乳首の裏の肉芽(?)除去」でした。
足裏のホクロは今思うと病気でも何でもなかったな・・・とも思いますが、当時の私(母親です)は「足の裏のホクロは将来ガンになる可能性がある」と信じていました。
知り合いのお医者さんの奥さんに相談してみたら・・・。
「うちの子にもあるの!」と、悩み相談大会になってしまいました。
その子のホクロは薄くて2年後くらいに消えましたが、うちの子は消えそうになかったので切開して取ってもらいました。
皮膚科のお医者さんも「う〜〜ん」という感じで、取った方がいいのか、残しても全然問題ないのか決めかねてるようでした。
「将来が長いので、取ることにしましょう」と言って、切開を決めました。
足の裏は皮膚が厚くて、抜糸まで2週間かかりました。
足裏のホクロ取りが大げさなやり過ぎだったのか、取っておいて安心だったのか、あれから15年くらいたった今でもわかりません。
「取ったホクロ、良性でした」と、あとでお医者さんに言われました。
小4の「乳首の裏の肉芽」は、おできかな〜と皮膚科を訪れたら、抗生物質を塗っても治りません、切開しましょう。」と言われました。
人生2回目の切開で、乳首の見た目がきれいになるよう形成外科です。
切開は30分くらいで終わりましたが、家庭で朝晩消毒と言われ、「乳首の裏を少しめくって綿棒で消毒する」のがモノスゴク痛かったそうです^^;
彼の人生20年で一番痛かったのはこの消毒でした^^;
2位 ロタウイルスで三日三晩死んだように眠りこける
上の男の子は細身でスタミナがない体質。
1才過ぎて免疫が切れると、風邪をひくたび吐き戻し、下痢、発熱など派手に寝込む子供でした。
年に何度もそうなるので、こちらも悪い意味で「慣れ」てきてしまって…。
たぶん2才の時だったと思います、冬の寒い日、晩ごはんに食べたオムライスを全部布団の上に戻して、高熱で寝込んでしまいました。
翌朝も具合が悪く、3日くらいぐったり寝こんでしまいました。
寝込み始めの午前中だけ、1回医者に連れて行った記憶があります。
点滴してもらい、良くなるかな・・・と思ったのですが全然回復する気配がありません。
2日目、3日目も医者に連れて行こうか、どうしようか・・・と軽く悩みながら様子見しました。
悩んだわりに連れて行かなかったので、土日の休診日か何かに当たったのかもしれません。
3日間ほとんど飲まず食わず。このままロタで死んでもおかしくない、とうっすら思ったりもしました。
ロタウイルス、白い下痢が長引くのが特徴で、体力消耗されます。
4日目あたりから回復傾向にありましたが、点滴のない昔はこの状態からたくさんの子供が命を落としたんだろうな・・・としみじみ思った3日間でした。点滴、医者があいている平日の午前、午後の数時間しかチャンスがないんですよね。
「ぐったり寝ているのに、わざわざ起こして極寒の中、外に出なくてもいい」という状態だったのを覚えています。
3位 車に轢かれる寸前で道路工事のお兄さんに手首をつかまれ助けられる
「命の危険」という意味ではこれが最もまずかったです。
車に轢かれそうになったのは、年長さんの年でした。
この子だけだったらずっと手をつないで歩いていられたのですが、下の妹がすでに生まれていました。
信号の押しボタン信号を押して、さあ渡ろう!と3人で渡っていたのですが、横から信号無視の車が来ました。
親の私が横いりの車に気づく前に、私の1m先にいた道路工事のお兄さんがうちの息子の「手首」をつかんで車に飛び込むのを止めててくれました。
車が停止線から横断歩道までほんの0.5秒。
「危ない」とその場にいたお兄さんも私も、声に出す間もない瞬間でした。
うちの子の手首をつかんだ道路工事のお兄さんは、左折で曲がっていこうとする信号無視の車を走って追いかけ、「××××××××××!」
聞き取り不能でしたが車を止めて、運転手夫婦にめっちゃ文句を言ってくれました。
交通事故って本当に不運の不運のタイミングが重なって起きるものだ、いつ誰が巻き込まれてもおかしくないという体験でした。
この日の「交通死亡事故一歩手前」はこの時どうしていたら防げたのか、今ふりかえっても答えが見つかりません。
・子供2人連れてて子供にバラバラな動きをされた
・道路工事していた
・信号無視の車が来た
・お兄さんが助けてくれたから轢かれなかったけど間に合わなかったらたぶん車に轢かれてた。
道路工事はこの日からしばらく続いたので、毎日気をつけて通るようにするくらいしか方法がなかったです。
「登園バス」を使った方が安全だったのかな・・・!?というのも、いまだに答えは出ないです(バス待ち中にどっちも危ないのは同じっていうか^^;)
以上「男の子」の方の危ないケガ・病気でした。
日帰りの切開手術2回のほか、ロタウイルスを始めとした吐き下し、発熱など症状が派手な感染症。
「交通事故に遭いそうになった」というのも、男の子まわりではよく聞いた話でした。
下の女の子(現在19歳)がした「ケガ・病気」Top3は?
いっぽう女の子の方は感染症に対しては丈夫ですが、そうでない所に症状が出るような面が見られました。
1位階段から落ちて頭など打つ、翌日総合病院でCT
下の妹は年長、上の兄は小3でした。
昼間2階で遊んでいて、1階に何か「楽しいこと」があったのでしょう、兄はひとりで先に階段を「たったったったっ」と駆け下りました。
妹を見捨てて…。
兄が駆けてくのを見て「私も」と思ったのでしょう。
年長の妹も階段をたったっと下りました。
階段の真ん中あたりで体のバランスを崩し、「あ、まずい」と階段の上から親の私が見ていた瞬間、妹の方がゴロゴロゴロと階段から1mくらい転げ落ちました。
痛いですよね、だいぶ泣かれました。
顔や手足にすり傷、打撲ができてしまった・・・と思ったのですが、それは見た感じ10日あればいいとこまで治りそうでした。
「頭、まずいかも・・・」と思い、翌日の午前中、総合病院の脳外科でしょうか、CTを撮ってもらいました。
頭の方は幸い何ともありませんでしたし、手足や顔の傷もだんだん治っていきました。
階段から落ちた週の5日後、私の弟が遠方となる「東京都内」で結婚式を挙げました。
「めい」に当たるうちの子も式に招待されていたのですが、顔が打撲でひっかき傷もあったため、訳を話して欠席させることにしました。
花柄のレースの可愛いワンピース(オフハウスで中古)を用意していたのに、残念でした。
残念なのはそのワンピース姿を見たがっていた親だけで、ケガした本人は「階段から落ちたから結婚式に行かないで済んで(ワンピというひらひらした服がそもそも嫌いだったらしい)良かった^^;と後々まで言われました。
2位 小学校卒業式前に3ヶ月続いた頑固なストレス性じんましん
小学校卒業式前の12月末から3月末まで、娘は過度な「ストレス性じんましん」に悩まされました。
「かゆい」という悩みのほかに「インフルエンザの予防接種がいつまでも打てない」という不都合もありました。
ストレスの原因は、女の子にありがちな「人間関係の悩み(と言えるのか?)」でした。
人間関係の悩み・・・って人によって違うんだな・・・と思いつつ書くのですが・・・。
娘の場合の困ったことが「ある女の子に好かれすぎてベタベタ抱きつかれるのが許容限度を超えて辛い」というものだったようです。
毎日帰宅後、学校でどんな目にあったか1時間くらいしゃべるので、一応全部筆記で娘の言い分を記録したりしました。
「〜して、〜して、〜された・・・」の連続です。
学校が始まって1月いっぱい我慢してみましたが、言うだけ言ってみるかと担任の先生に状況報告(抱きつかれて辛がってる相手の名前と、小児科での受診状況)を連絡帳に書きました。
1〜2日後クラスで席替えをしてくださり、娘の席は先生の目の届く教室のど真ん中、(男女がななめに「市松模様」になってることから)斜め前と斜め後ろに「抱きつく子」「抱きつく子の仲良し」にはさまれる面白い配置になりました。
本人はすごく嫌がっていましたが「先生すごい、プロい配置!」と笑いが止まりませんでした(笑)
卒業式まで斜め前、斜め後ろ2人の「お手紙交換」回しの手伝いを、授業中にやらされたようです。
一度に2つのことをいっぺんにやる能力が高まる機会ととなりました。
うちの娘ひとりが対象でなく、わりとどのお子さんにもベタラベタラ接するお子さんでしたし、お互いに仲の良い友達もいたのですが、うーん、私も毎日3回くらい特定の女友達(?)に抱きつかれて逃げ場もなかったら、やっぱりきついかもしれません・・・。
娘だけアレルギーの値が1000くらいとすごく高く、上の兄と親の私は300か400くらいにとどまっています。
小学校卒業後は「抱きつく子」とはクラスも離れたため、娘のアレルギー性じんましんもここで終わりました。
じんましんというアレルギーの特性上、薬は飲ませたけどあまり効かなかったような気がします。
3位 お寿司で呼吸困難!?高1で食物性アレルギー発症
「女の子は身体が丈夫で育てやすい」なんてよく言われますが、今2人の子供のうち成人年齢になっても解決していない問題が「呼吸困難を伴う食物性アレルギー」です。
うちの2人の子供はアトピー以外では典型的なアレルギーマーチをたどりました。
・ぜんそく 3才〜中、高校生
・鼻炎 中、高校生〜大人(上の息子)
・気管閉塞 高校〜大人(下の娘)
上の子の「鼻炎」も苦しそうですが、下の子の「呼吸困難」は相当まずいです。
発症のきっかけは・・・
高1のお盆前、暑い夏、強豪の部活が1日だけ休みだったので、車で丸1日かけて普段行けないような「やっかいな買い物・お出かけ」に連れ出しました。
その足でおばあちゃん宅(私の実家)でお盆の宴会をしました。
生寿司、宅配ピザ、冷たい炭酸飲料など、テイクアウト品がずらりと並びます。
「マグロ」「イカ」の順で、高1だった娘は1こずつお寿司を食べました。
2つ食べたところで気管が苦しくなって、ひとりで宴席を中座して、スマホのネットで自分の症状を検索して「食物アレルギー」に気づいたそうです。
この日以来、刺身、カニなど生物の魚類は家でほとんど買わなくなりました。
血液検査も受けましたが、特に数値としてハッキリした結論は出せていません。
火を通した魚(鮭の焼いたのとか)はなぜか大丈夫なのが不思議です。
【ケガ・病気】うちの子供2人が経験したケガ・病気Top3まとめ
もう子育てして20年になる(もう終わってる)ので、忘れ去ったような内容が多いのですが思い出したことを書いてみました。
その時はすごく大変だったような気もしますが、どれもありがちな内容だよなーとも振り返って思います。
まとめてみるとすると
親:よくがんばりました
子供:よくぞご無事で
という感じでしょうか^^;
上の息子は2才のとき、にゅ〜っと黄色い絵の具をチューブから出して、おいしそうに食べて(?)いました。
親はもう悲鳴!です。
毎日こんな感じですよね。
まったくまとまりませんが、そもそも子育ては「まとまらない」ような気がしますので、このまま終わりたいと思います。
子育てで「まとまる」のは「受験合格」とか「入社おめでとう」くらいしか、機会がないのかもしれません。